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「支える」と「支えられる」と。

  • 執筆者の写真: mommemma
    mommemma
  • 2018年3月11日
  • 読了時間: 3分

耳元あたりまでのまとまりの良いボブ。

膝丈すこし上あたりの黒っぽいミニマムデザインのワンピース。

そしてそこからスラッと表れる形のいい2本の脚。

”あ、この子はきっと私が男だったら好きになるタイプかもしれない”

そう思った。

彼女の声はにごりがなく、かつ薄いオブラートに包まれたように優しく、そして屈託がない。

人は選ぶ言葉でできている、と言けれど、

ならば彼女の発するその言葉ひとつひとつは、彼女のしなやかさと強さを表しているのかもしれない。

高橋菜美子さん。

ひょんなことからご縁を頂き、彼女と連絡を取ることになったのが約2年前。

菜美子さんはデンマークのエグモントフォルケホイスコーレで約1年の留学生活を過ごし、

今回私はその報告会という名目のトークイベントに参加させてもらった。

菜美子さんがなぜエグモントへの留学を決めたか。

彼女は東京の大学を卒業後、ウエディングプランナーとしてバリバリ働いていたのだが、その矢先、突然自分が難病にかかっていることを知った。

「筋肉が徐々に衰えていく病気」とだけ私の小さな頭には記憶されている。

あの素敵なワンピースからスラッと伸びていた脚にも、実は筋肉はほとんどないのだと言う。

そんな彼女が自分の前に突然表れた「障害」というテーマに対し、向き合っていこうと選んだ最初の挑戦がエグモントへの留学だったのだ。

正直、私はこれまで「障害」ということについて殆ど考えてこなかった。

周りにも分かりやく(といったら語弊があるかもれないけど)、身体的あるいは精神的な理由で生活に不自由している人も思いつかない。

本当に恥を忍んで言えば「障害を持っています」という人にどう接していいかも分からない。

「普通にしてていいんだよ」と言うのもそうだと思いつつ、ひょんな拍子に傷つけてしまうのでは、とビビっているのが本心だ。

そんな私のガチガチに凝り固まった頭を、今回のイベントではすこし和らげることができただろうか。

それはまだ分からないにしても、私は「菜美子さん」という人間の魅力にしてやられたのは事実だ。

「これまで文章なんて一度も書いてこなかった」という彼女だが、その言葉選びと伝える力にはただただ脱帽する。

イベントでみんなに配った資料『幸せのレシピ』は、彼女がデンマーク滞在中にひとつひとつ書き溜めたもの。

“お皿を割った人には拍手を送ること(失敗を社会が受け止めること)”

“左右で違う柄の靴下を履いてみること(世間の目は気にしないこと)”

“自分の好きな言葉で世界を彩ること(「言葉」が「社会」だと知ること)”

これはほんの一部でこの他にも本当にいい言葉がたくさんあって。

彼女がどんな状況でこの言葉を見つけていったかを想像するだけで、「ああ、この人は幸せをまとっているのかも」

と、心がじんわりと潤った。

「障害」と「健常」。

その境目は、実はとても曖昧なのかもしれない。

「支える人」と「支えられる人」という二項対立では、このテーマに向き合うためのスタート地点には永遠に立てない気もする。

今日は2018年3月11日。

私たち福島県民、そして被害に遭った東北のみんなが「支えられる人」になった日。

でもそれだけではなかったはず。

支えられたからこそ「自分の足で立って行きたい」「自らが新しい支えとなりたい」というあの思いを知った今、

この「健常」と「障害」の境界線をしなやかに行き来できるのではないだろうか。

少なくとも、前よりは。

11MAR2018


 
 
 

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