『夢のありか』
- mommemma
- 2017年1月17日
- 読了時間: 4分
夢とは。
ー日常である。
夢とは、遠くにあるものだと思っていた。
それこそ手の届かない、願ってもなかなか掴み取ることのできない所にあるもの。
「大きくて輝かしい夢を叶えるためには、努力が必要だ」とも教えられてきた。
夢に向かって額に汗する姿は美しい。
『少年よ、大志を抱け』と。
だから私も夢を持った。
そうして、敗れた。
子供の頃から、何かになりたい願望が強かったように思う。
今思いつく限りでも、「看護師さん」「ケーキ屋さん」「考古学者」「警察官」「俳優」...と、なりたかった職業は枚挙にいとまがない。
特に高校の頃は吹奏楽部に入っていたこともあり、「サックス奏者」に憧れた。
「憧れ」というよりも、その当時は結構本気でその道に進みたいと考えていた。
進学校にも関わらず本業の学業は二の次で、音大受験のための練習に明け暮れる日々。
とんでもなくお金のかかるレッスンを受けるために、コンビニでアルバイトも始めた。
朝・昼・晩の練習とアルバイト、ピアノと歌と聴音のレッスン、独学で音楽理論、落第しないくらいに勉強もして、時たま入る親の反対をかわしながら、また練習に戻る...。
そんな毎日を2年間ほど続けて、潰れた。
決め手は親の『そんなお金はない』という言葉だった。
涙ぐましい程の努力を重ねた「私の夢への挑戦」は、「親の反対」という最もありがちな理由であっけなく幕を閉じたのだ。
あれから12年。
私は途方もない、新たな「夢さがし」をするハメになった。
30歳にして転職回数10回。
大学を卒業してからの年数で割ると、半年に一回のペースで仕事を変えてきたことになる。常識的に生きている人からしたら、気の振れた数字だ。
正直言って、私はこの転職回数に関しては気にしていない。
問題はプライベートの方だ。
やりたいことがありすぎて、次から次へと新しいことに手を出しては、中途半端で終わる始末。一つのことをしている間に別の事に気を取られ、また手をつけては半端にし、そしてまた別のものを...という底なしの「やりたい事地獄」に陥り、我ながら病気なのではと疑うほどだ。
例えば「ヨガ・インストラクター」。
せっかく高い授業料を払って学びに行ったのに、肝心の自主練習が嫌いで未だ叶えられていない。というかまず自分自身の体が硬すぎて、人様に教えられるレベルでは到底ない。
それと「翻訳者」。
「大学で学んだ英語を活かたい」と翻訳学校に乗り込んだはいいものの、クラスの厳しい空気にやる気が急降下。課題テキストを開くのも嫌になり、こちらも途中離脱。確か2回行ったくらいだったと記憶している。
その他にも「ライター」「手芸屋」「キュレーター」...と、つまみ食い程度のチャレンジで早々に諦めてきてしまった夢がわんさかある。
かっこよく言えば、私はあの時諦めてしまった「夢の代わり」を見つけたかったのだ。
高校の時の燃えるような、まっすぐな気持ちで目指していた「サックス奏者」に代わる新しい夢を。
だけど結局私のやってきたことと言えば、夢にも成りきれていない「夢もどき」をただただ食い散らかして来ただけ。
30歳を迎えた私の目の前に広がるのは「何かを成し遂げた」ことが一つもない、という現実だけだ。
そもそも私は「夢の持ち方」を間違っていたのではないか。
「夢」というキラキラした輝かしい言葉に合わせて、何か大きく崇高なものを目指す、というのが「夢の持ち方」だと信じて疑わなかった。そしてそれを叶えるために額に汗して努力するのが「正しい生き方」だ、とさえ思っていた。
ただその理屈は、ある大切な点が見落とされている。
「夢叶わなかった」場合にどうするか、だ。
夢半ばで諦めてしまった場合、それまでの時間と労力をどう意味づけしたらいいか。
諦めてしまったら全ては終わり、水の泡、骨折り損のくたびれ儲け、なのか。
私には「諦めてしまった夢」しか残っていない。
これまで歩んできた12年を恐る恐る振り返り、私は思った。
成りたいものには成れなかったけれど、一つ一つの経験から都度学んでいることはあった。少なくとも、何もしないよりはマシだった。
何よりも、人との「出会い」があった。
こんなにせわしなく動き続ける私を「おもしろい」と言って受け入れてくれた人たちがいた。そして彼らはかけがえのない「仲間」となった。
どこに住んでも離れても、必ず月一回会う友人ができた。彼女たちがいるおかげで、私は「帰る場所」を失わずにいれた。「月一会う」という関係を、私たちはかれこれ8年続けている。
大切な人も見つけることができた。ボランティアで知り合ったその彼と私は一緒に暮らすようになり、そして来年、結婚する。
振り返って初めて気づいた。
「何にも成れていない」と悲観視してきた道には、確かに「何かが生まれて」いた。
目の前に広がるのは「何も成し得なかった」現実ではなく、何ものにも代えがたい「かけがえのない日常」だったのだ。
夢とは、日常である。
がむしゃらな日々と、かけがえのない仲間と、大切にしたい人。
そういったものを積み重ねて、出来上がっていくもの。
そしてそれは決して手の届かない遠くにあるものではなく、
傍らにそっと、見守るようにいてくれるものなのだ。
Comments